【インタビューVol.3 前編】「GMOイエラエらしさって何?」バラバラな組織を束ねる共通言語を求めて

GMOインターネットグループが今年4月から開始する、年間を通してデザイン・クリエイティブの発信を強化する施策「Creator Synergy Project」の取り組みとして、本ブログでもデザイナー・クリエイターへのインタビュー連載をスタートしました!
今回登場するのは、GMOサイバーセキュリティ byイエラエ株式会社でブランドマネジメント室を率いる大倉太一さん。
広告・UI/UX領域でのキャリアを経て、GMOイエラエの“ブランドの軸”を再構築しています。
多様なバックグラウンドをもつ組織に、どう共通言語を根づかせたのか。その背景と戦略に迫ります。

制作の楽しさに目覚めた学生時代

—大倉さんのものづくりへの関心は、どのようなきっかけで芽生えたのでしょうか。

大倉

最初は服作りからでした。小学生の頃から手芸が得意で、手先を動かすのがとにかく好きだったんです。高校に入ってからは、家にあったミシンを使って独学で服を作るようになりました。型紙まで自分で引いて、結構本格的でしたね。高校は普通科だったのですが、美術科が併設されていて、廊下を歩くたびに展示作品が目に入ってくるなど、日常のなかにアートが自然と存在している環境でした。

大倉 太一|GMOサイバーセキュリティ byイエラエ株式会社 ブランドマネジメント室 室長

情報科学芸術大学院大学(IAMAS)でメディア表現を研究。卒業後は東京のデザイン事務所に入社し、Web・グラフィック・映像分野の制作に従事。アートディレクターとして6年間活動したのち、「OHAKO」へ転職。同社が「IERAE Security」との合併を経てGMOインターネットグループにジョイン。現在は、GMOイエラエにおけるブランド戦略の策定からクリエイティブディレクション、グループ横断イベントのビジュアル開発まで幅広く手がけ、組織内外に向けたブランド価値の浸透をリードしている。

—大学院修了後は、どのようにキャリアパスを歩み始めたのでしょうか?

大倉

正直なところ、当初は就職に強い関心があったわけではありませんでした。ただ、「そろそろ働かなければ」という思いもあり、大学院時代の知人から紹介を受けて、東京のデザイン事務所に入社しました。Webやグラフィックを中心に、広告系のデザインを手がけている会社でしたね。

大倉

入社後は、とにかくがむしゃらに働きました。最初の6年間はデザイナーとして、その後の6年間はアートディレクターとして、大手企業の広告案件などに携わりました。今では考えられませんが、当時は週に2日帰宅できればよいほうで、ほとんど会社に泊まり込んでいました(笑)。

だけど、そんな生活もまったく苦ではなく、「つくること」そのものがとにかく楽しかった記憶があります。教育もいわゆる職人的なスタイルで、先輩の仕事を見て学ぶという環境でしたが、自分にはとても合っていたと思います。

当時在籍していたデザイン事務所のメンバーとの集合写真

—その後、転職を決断されたのはどのような理由からだったのでしょうか。

大倉

きっかけは、「同じことの繰り返しになってきたな」という感覚でした。12年間がむしゃらに働いてきて、ふと、ひとつのサイクルが終わったような気持ちになって。もっと違う領域にも挑戦してみたいという思いが、次第に強まっていったんです。

「新しいことに挑戦したい」——転職を意識しはじめた当時を振り返る。

大倉

ちょうどその頃、UI/UXデザインに関心を持つようにもなっていました。Webデザインに近い領域でもあり、大学院時代に取り組んでいたインタラクティブな表現とも地続きで、「これは面白そうだな」と感じていたんです。そこで、新たなチャレンジをするために入社したのがOHAKO(株式会社OHAKO)でした。

新たな環境では単なるプレイヤーではなく、チーム全体を動かすハブ的な役割に挑戦してみたかったので、ディレクター職として入社しました。ただ正直なところ、「自分にはあまり向いていないかもしれない」と感じることもありました(笑)。お客様とのやり取りやチーム内の調整など、コミュニケーションの比重が大きく、自分の得意領域とはやや異なっていたんです。

とはいえ、新しい挑戦には価値がありました。苦手意識があったとしても、少しずつ耐性がついていったことで、「挑戦すればやれることは増えていく」という手応えを得られたのは、大きな学びだったと思います。

サイバーセキュリティ企業への統合と葛藤

—そこからGMOインターネットグループへとジョインした経緯は?

大倉

そこの経緯は多少複雑になるのですが、このあとの話にもつながるので、少しだけ説明しておきたいと思います。

OHAKOは当時、ココン株式会社というグループに所属していました。その後、同じグループ内にあった株式会社IERAE Security(イエラエセキュリティ)を中心に、いくつかの関連会社が段階的に統合されていきました。

そのなかで、事業の主軸がサイバーセキュリティ領域へと大きくシフトし、さらにGMOインターネットグループへのジョインが決まったことで、現在の「GMOサイバーセキュリティ byイエラエ株式会社」(以下、「GMOイエラエ」と表記)という社名に至った、という流れでした。

—合理性あっての合併・ジョインとはいえ、大倉さんをはじめOHAKOのメンバーにとっては、突然の出来事でもあったのでは?

大倉

はい。それまでデザインを主軸にしていた環境が、ある日を境に「サイバーセキュリティの会社」になったわけですから、現場には当然、動揺がありました。特にデザイン領域でキャリアを築いてきた人のなかには、「もうここには自分の居場所がない」と感じ、離れていった仲間も少なくありませんでした。

けれども僕自身は、むしろ「変わっていくこと」そのものに面白さを感じていました。そもそも転職も、変化を求めて選んだ道でしたし、自分ではコントロールできないほど大きな流れのなかに身を置くことって、そう何度もあるものではない。「この変化に一度乗ってみよう」と思ったんです。1社目での12年間で根性もスキルも鍛えてきたし、合わなければまた別の道を考えればいい。そのくらいの気持ちでした。

—ご自身の意思とは異なるかたちで、なかば「転職」するようなかたちでのジョインだったと思いますが、GMOイエラエでの最初の環境はいかがでしたか。

大倉

正直に言うと、全てが整った環境とは言い難かったです。そもそも当時のGMOイエラエには明確なデザイン組織が存在しておらず、僕らデザイナーがいわば放り込まれるようなかたちで加わったんです。社内のデザイナーは僕を含めて3人。200人規模の組織に対して、デザインリソースとしてはあまりにも小規模な体制でした。

さらに、担当業務の性質もがらっと変わりました。OHAKO時代はクライアントワークが中心でしたが、GMOイエラエに来てからは基本的にインハウス、つまり社内向けのデザイン業務が主軸になります。
ところが、当時のGMOイエラエには、会社としてのブランドや思想の軸がまだ定まっていなかった。そのため、「このバナーを作っておいて」といった表層的なビジュアル制作の依頼はあっても、どのような方針に基づいて作れば良いのかが分かりませんでした。

場当たり的な制作を続けるなかで、「この会社におけるデザインの役割って、これでいいのか?」という疑問が強くなっていきました。会社としてのビジョンや世界観がデザインに反映されず、どこを向いているのか分からないまま、統一感のない成果物が増えていく。このままではいけないという焦りが、次第に大きくなっていったんです。

—そうした現状を打破するきっかけとなったのは、どのような出来事だったのでしょうか。

大倉

弊社代表の牧田から声がかかったことが、大きな転機となりました。牧田としても、社内に統一感がないことに同様の課題意識を抱き、CDO(Chief Design Officer)のようなポジションがこの会社にも必要ではないかと考えていた時期だったようです。

当時はちょうど、企業ブランディングの一環としてCDO職への注目が高まり、関連するセミナーも多く開催されていました。そうしたセミナーのひとつに「一緒に行かないか」と声をかけられたことがきっかけで、初めてしっかりと話す機会を持つことができました。

その場で僕は、以前から抱えていた課題感を率直に伝えました。GMOイエラエはセキュリティ企業ではありますが、合併を経て異なる文化や価値観を持った人たちが集まっており、組織としての一体感がない。共通言語がない状態では、デザイナーだけでなく他職種においても離職が続いてしまう。これは早急に対処すべき問題ではないかと。

会話を重ねるなかで、牧田も同じ危機感を抱いていたことが分かり、「やるしかないよね」と、話は非常にスムーズに進みました。これは単なるデザインの話ではなく、会社としての“軸”を定義し直す話なんだ、とお互いに共有できた感覚がありましたね。

共通の課題意識が、組織づくりを見直す大きな一歩につながった。

バラバラな組織に共通言語をつくるために

—気持ちが固まったあと、最初に取り組まれたのはどのようなことだったのでしょうか。

大倉

ブランドを定義していくにあたり、まず「ブランドマネジメント室(BM室)」を立ち上げることが決まりました。メンバーは僕と若手デザイナー2名、そしてもう1人、合併前の株式会社ツードッグス出身で、ブランドコンサルタントの経験を持つメンバーでした。

こうしてBM室が始動したあと、最初に掲げた目標は「半年以内に会社としてのミッション・ビジョン・バリュー(MVV)を策定する」というものでした。合併後のGMOイエラエがひとつの組織としてまとまっていくために、目線をそろえる必要があると考えたんです。

第一歩として着手したのは、今いる人たちの価値観や認識を正しく知ること。合併前の会社ごとに文化や働き方、プロダクトに対する考え方がまったく異なる状況だったので、まずは徹底した社内ヒアリングを行うことにしました。

MVV策定に向け、ブランドの本質と向き合いはじめた頃の思考を語る。

大倉

そこからは、合併元それぞれからキーパーソンを選び、12名ほどに個別インタビューを実施しました。想像はしていたものの、出てきた意見は実に多様で。

GMOイエラエでセキュリティ事業を担ってきた人たちは、「セキュリティで世界を守る」「グローバルで戦える組織に」という牧田の力強いビジョンに共感していました。一方で、OHAKOやツードッグスなど、クリエイティブ領域にいたメンバーは、「表現や体験の質にもっとこだわりたい」といった志向が強かった。同じ会社にいながらも、目線も言葉もまったく異なっているということを、あらためて痛感しました。

そうであればやはり、「これがうちのブランドです」とトップダウンで決めるのではなく、まずは多様な価値観を受け止め、共有できる土台を探るところから始めなくちゃなと。ブランドマネジメントの設計とは、“上から掲げる旗”をつくることではなく、“足元に共通言語をつくること”なのだと、強く感じたのを覚えています。

後編につづく

バラバラだった組織に共通言語をつくる。その挑戦は、単なるブランド構築にとどまらず、組織そのものの在り方を問い直す営みでもありました。

後編では、「GMOイエラエらしさ」を可視化し、浸透させるための取り組み、そして自らを“ウイルス”と称しながら変化を仕掛けていく覚悟に迫ります。

インタビュー後編は以下からご覧ください!
変化を起こす異物になれ。デザイン文化を育て続けるという覚悟

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GMOインターネットグループ株式会社

イベント活動やSNSを通じ、開発者向けにGMOインターネットグループの製品・サービス情報を発信中

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