【EXPERT CROSS #2】暗号技術の可能性を未来につなぐ、「暗号のおねぇさん」の歩み(後編)

エキスパート制度5期目を迎えた、暗号応用領域のエキスパート・酒見由美さん。前編では上長であるGMOコネクト株式会社 執行役員CTOの菅野哲さんも交え、酒見さんの活動を支える自己ブランディングや標準化コミュニティへの向き合い方、エキスパート制度がもたらした変化などを伺いました。

後編では、エキスパート活動を通じた組織への影響や制度を運用していくうえでの課題、そして2026年に向けた具体的な挑戦について深掘りしていきます。

前編はこちらから

組織と本人の両方を変えていくエキスパート活動

———前編でも、新たな接点が広がってきたというお話がありました。エキスパートとして活動するなかで、ご自身の中で変わったものがあれば教えてください。

酒見

技術ブランドを発信することの重要性に気づいてからは、自分から動けるようになってきました。

社内向けにも暗号応用領域での勉強会を継続的に開いていて、たとえば量子コンピュータの実用化によって現行の暗号が解読されるリスクがあるという「2030年問題」の話などを、グループのエンジニアに伝えるようにしています。

暗号はどうしても「とっつきにくい」と思われがちなテーマですが、勉強会などを通じて興味を持ってもらい、暗号技術の知名度を上げつつ後進を育てられる機会を増やしています。

———菅野さんから見て、エキスパート活動を通して酒見さん自身が変わったと感じる場面はあるでしょうか。

菅野

本人があまり自覚していないかもしれない部分で、3つ大きな変化を感じています。

1つ目は、IETFの議論の場において、以前は「観察する」タイプだった酒見が「自分から提案する」タイプに変わったこと。オーディエンスから議論の主役への移行ですね。

2つ目は、他社のエンジニアと話していると「酒見さんに相談したい」「酒見さんの意見を聞きたい」という反応が返ってくるようになったこと。日本でペアリングや超低遅延暗号について聞ける、数少ない相談役になりつつあります。

3つ目は、社内向け発信のトーンが、「専門家が最新動向を解説する」スタイルから、「グループとしてこう動くべき」という提案・経営目線に自然に変わってきていること。CTOとしても、とても心強い変化です。

今では酒見の発表を聞いていた出版社の方から教科書執筆の打診まで来るようになっていて、「専門領域の人だけがいる場ではない場所で、難しいことを噛み砕いて伝える」役割がきちんとできているなと感じます。

酒見

自分の中ではあまり意識していなかった変化を、こうやって客観的に見てもらえるのはありがたいです。

———菅野さんから見て、酒見さんの活動は組織にどのような影響を与えているでしょうか。

菅野

「暗号のおねぇさん」の話とも繋がりますが、酒見が国際標準化コミュニティで認知されているということは、結果として「GMOインターネットグループはインターネットの基盤に責任を持っているグループだ」というメッセージを発信し続けていることになります。

もう1つ、社内へのロールモデル効果も大きな影響ですね。標準化のような「成果が出るまでに時間がかかる活動」を続けている人が、エキスパートとして公式に認定され、国内外で評価されている姿をエンジニアが目にすることで、「専門性を長期的に追求するキャリア」が現実的な選択肢として可視化されてきています。

安心・安全なインターネットの実現に向かう人材を継続的に育てるという意味でも、これは大きい変化ですし、エキスパート制度の最も本質的な価値の1つだと言えるのではないでしょうか。

「こういうキャリアもある」ことを次の世代に見せるのも役割

———菅野さんは、登壇などの対外的な機会をなるべく酒見さんに譲るようにされていると伺いました。その意図はどこにあるのでしょうか。

菅野

理由はシンプルで、大学生や若手のエンジニアに「こういうキャリアもあるんだ」と示せる存在になってほしいからです。

暗号や標準化の世界は、ただでさえ若手の女性エンジニアが少ない領域です。だからこそ、酒見が国内外の舞台で活躍している姿そのものが、後に続く人にとっての道しるべになります。酒見にはもっと外に出てほしいですね。

酒見

もっとですか(笑)。

菅野

IETFの会議に何らかのミッションを持たせた若手といっしょに参加したり、社内勉強会で活動を共有したりしながら、「自分も挑戦してみよう」と思えるエンジニアを増やしていけたらと考えていますね。

酒見

私が活動を続けている姿を見て、女性やアジア出身の研究者の方が「自分にもこういう道があるんだ」と感じてくれたら、こんなに嬉しいことはありません。標準化のように成果が出るまで時間のかかる活動でも、専門性を長く追い続けるキャリアが現実にあるということを、次の世代に見せていきたいんです。

私自身が大切にしてきた「グループの技術力を世界に示す」「安心・安全なインターネットを届ける」という想いも、いつか世代を超えて引き継がれていくといいなと思っています。

「見えづらい成果」の翻訳で事業に貢献

———エキスパート制度そのものについて、現場で活動されているお立場から見て、どう感じておられますか。

酒見

「一緒に作っていけている」という感覚があるので、現場としてはとても活動しやすい制度です。事務局がエンジニアの要望を聞いて、運用を柔軟に変えてくれていると感じています。

菅野

上の立場から見ると、運用側として課題を感じている部分もあります。エキスパート個人に割り当てられる年間100万円の活動費は、ありがたい一方で、海外会合への参加までを賄うとなると正直なかなか厳しい。どうしても国内活動が中心になってしまいがちなんです。

事業部の予算を使えば賄えなくはないんですが、それは事業部の利益を削ることになるので、エキスパート制度との切り分けにいつも悩むんですよね。標準化は数年〜十年単位で動くので、四半期や半期で区切られるKPIには原理的に馴染まないんです。それでも価値を理解してもらわなければ、活動の継続性が担保できません。

酒見

この課題に対しては、「いまIETFで何が議論されていて、それがGMOインターネットグループのどのサービスに将来効いてくるのか」というのを、半期に一度のペースで経営層に翻訳して共有する仕組みを作れないかと思っています。標準化のマイルストーンを、ビジネスの言葉に置き換えていくという形ですね。

———エキスパートとして、標準化と事業の両方の言葉で語れる立ち位置にいる酒見さんだからこそ、出せる価値があるということですね。

菅野

そこは本当に大事な観点なんです。エキスパートとして取り組む標準化や技術ブランド活動が「単なる広報活動にかかるコスト」と社内で見られてしまうと、どこかで「これ必要なの?」という議論になりかねないんですよね。だからこそ、最終的にはビジネスになる形を設計しておくことが必要なんです。

過去の実績で言えば、国際標準化で培った実績・経験を先端技術に関する国家プロジェクトに活かし、5000万円以上の研究開発費用を得たこともあります。こうした過去の事例を、収益につなげていけるといいかなと思いますね。

コミュニティの観点でも同じことが言えていて、圧倒的にギブし続けていると、もらい続けている側にも「自分もギブしないといけないんじゃないか」という気持ちが出てくる。それが健全なコミュニティで、エキスパート活動もそのルールの中で動いていると思います。

酒見

私の領域だと、ペアリングベース暗号はブロックチェーンやゼロ知識証明といった「真正性・由来証明」領域の基盤技術になっていて、グループ事業とも地続きで繋がっています。

超低遅延暗号も、5G/6Gや車載通信、IoTやリアルタイムに動くAIエージェントなど、これからのインターネット基盤として欠かせないところに効いてくるはずです。「暗号× 真正性」という大きな潮流の中で、グループ全体で取れる選択肢を技術的に整理・提案する役割を担い続けたいですね。

菅野

標準化って、それ自体が目的化しやすいんですよ。酒見は「標準化と事業を両方の言葉で語れる」というかなり希少な立ち位置にいるので、そのポジションを最大限活かしてほしいと思っています。

酒見

標準化と実装、IETFのような国際コミュニティとGMO、自分の専門性と後進への教育…それぞれを繋ぐ存在として、長く活動を続けていきたいですね。

10倍の成果を出すためにも、「楽しい」を推進力に

———2026年のエキスパート活動を通じて、具体的にどのような活動をされていきますか。目標や展望を教えてください。

酒見

最大の目標は、GMOインターネットグループ初のRFC(Request for Comments、インターネットの技術仕様)発行です。私がコミットしているペアリングの標準化が、いよいよ終盤に入ってきているんです。GMOインターネットグループからRFCを出して、今年こそ歴史に名を刻みたいと思っています。

菅野

日本の暗号研究って、世界トップクラスの水準にあるんですよ。ただ、研究者は「作って終わり」になりがちで、世界に届ける手段を持っていない方が多い。世界と日本を橋渡しする役割が、エキスパートにとっての大きな価値だと思っています。

最近の例だと、私がアメリカ空軍の方の書いたインターネットドラフトに暗号技術に関する専門的な知見から、より良い提案になるよう熱意を持って対応したら、「共著者として入って一緒に直してくれ」と言われました(笑)。今、共著者の所在地にペンタゴンとGMOインターネットグループが入居するセルリアンタワーが並ぶドラフトが進行中なんです。

PQC(Post-Quantum Cryptography=耐量子暗号) に関する記述が不十分だったため、必要な背景を伝えながらいろいろなコメントを送ったというのが最初のきっかけだったのですが、こういうチャンスは自分で見つけに行かないと出会えないんですよね。

酒見

「外部から呼んでいただくだけではなく、酒見もこういうものを見つけて参加しなさい」というメッセージだと受け止めます(笑)。

菅野

最近では、世界中のインターネットドラフトの中からターゲットになるものをAIで抽出して、人間は「これは行く」「これは行かない」の判断に集中する、というやり方ができるようになってきました。

酒見

以前は人間が頑張って読み込んでいたところを、今ではAIがやってくれるようになっています。熊谷代表からも「何倍もの成果につなげるように」と言われていますし、エキスパート活動でもAIを活用していきます。

———最後に、これからエキスパートを目指す方へのメッセージをお願いします。

酒見

エキスパートと聞くと「特別な人がなっている」ような印象を持たれがちなんですが、大事なのは、自分の好きな領域にとことん向き合い、その深度を継続的に掘り下げていくことだと思います。

GMOインターネットグループ全体として、「技術ブランドを持っている」と言えるメンバーをもっと増やしていきたいです。

菅野

エキスパートになる人ってどんなものかと考えると、その分野を「楽しく」やっている人だと思うんです。辛そうにやってる人の近くに人は来ませんから、結局人を巻き込めないんですよね。

楽しくやっているというのは、その分野が好きで「童(わらべ)のようにキャッキャしながら無垢に遊んでいる状態」と言ってもいいかもしれません。それを正しくアピールできる人が、エキスパートになっていくんだと思います。

私は最初からナンバーワンである必要もないと思うんですよ。エキスパート制度を通じて成長してナンバーワンになる、というのも胸アツな物語じゃないですか。好きなことだったら寝食を削ってでもやれますし、そういう人は1年あればだいぶ成長します。

みんながエキスパートになって、いずれ天下一武道会みたいな頂上決戦ができるような組織になってくれると、このグループはめちゃくちゃ熱くなりますよ!

まとめ

国際標準化の場でGMOインターネットグループの旗を立て続け、暗号という難解な領域を社外にも社内にも届けてきた酒見さん。2026年は、グループ発のRFC発行という具体的なゴールを見据えつつ、AI活用で「10倍の成果」を狙うという挑戦が始まります。

「楽しさ」を原動力に専門性を磨き続ける姿は、まさにエキスパート制度が目指すパートナー(社員)の在り方そのものと言えるでしょう。

GMOインターネットグループでは、今後も引き続きエキスパートへの支援を継続し、業界全体の発展に貢献してまいります!

酒見さんの原動力やエキスパートとしての活動にフォーカスした前編もぜひご覧ください!

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